2006年 09月 18日
レイン・レディ |
44年前のきょうも、雨だったそうです。
3人の子どもが生まれた日も、自分の結婚式の日も、雨がふっていたそうです。そして、彼女の旦那の葬式の日も見事な大雨、でした。
そう、私の母親の話です。絵に描いたような雨女、まさしくレイン・マンならぬレイン・レディです。
「いつも、肝心なときに、ここぞっていうときに雨がふっちゃうのよ。まったく」
ため息混じりに、母親がそう言ったのを覚えています。そのあたりの「不器用さ」は、我々3人の兄弟もしっかり受け継いでしまったようで、あっちにつまずき、こっちにつまずき、通り雨に打たれながらの人生を、それぞれ送っています。
まあ、親から受け継いだものだと思って、「愛すべき不器用さ」だと思うようにしています。悩むことなく、ただまっすぐな人生なんて面白くない、なんてね。
きょうは、いつものバーで「誕生日カウントダウン」をしてくれるということで、身軽な格好で(なぜだ!)店に伺ったのですが、ほかのお客さんから「なにか一杯」とごちそうしていただいたり、お店からはシャンパンをごちそうしていただいたり(それも2本!)、思いがけず花束などいただいたりして(花より団子のクチですが、それでもうれしいものです)、とてもうれしく、サプライズな誕生日となりました。
しかし、雨に濡れながら家路につく途中、感謝するのは我が母親です。
どったんばったんしながらも、なんとかここまで楽しく人生を送ってこられたのも、すべて母親のおかげ。どんなときでも、自分のことよりも子どもの幸せだけを願って生きてきた母親のおかげです。
いや、それだけでなく、私を支えてくれた、温かい周りの人たちのおかげ。自分は自分の力だけでなく、多くの人たちの力によって「生かされている」ということを、改めて感謝する次第です。どこに足を向けて眠ればいいのかわからない、といった状態です。これホント。
これからの自分の人生、もっと充実させなくてはいけません。悩んでいることは多くありますし、体のメンテナンスはもっとしっかり行わなくてはいけません。
私の母親が私をこの世に送り出すとき、雨音を聴きながらどんな思いでいたのかなあと思いながら、ゆっくりゆっくり、静かな雨音をかみしめるように家路につきました。
今日だけは、ゆったりと過ごしたい、我が誕生日の夜です。
3人の子どもが生まれた日も、自分の結婚式の日も、雨がふっていたそうです。そして、彼女の旦那の葬式の日も見事な大雨、でした。
そう、私の母親の話です。絵に描いたような雨女、まさしくレイン・マンならぬレイン・レディです。
「いつも、肝心なときに、ここぞっていうときに雨がふっちゃうのよ。まったく」
ため息混じりに、母親がそう言ったのを覚えています。そのあたりの「不器用さ」は、我々3人の兄弟もしっかり受け継いでしまったようで、あっちにつまずき、こっちにつまずき、通り雨に打たれながらの人生を、それぞれ送っています。
まあ、親から受け継いだものだと思って、「愛すべき不器用さ」だと思うようにしています。悩むことなく、ただまっすぐな人生なんて面白くない、なんてね。
きょうは、いつものバーで「誕生日カウントダウン」をしてくれるということで、身軽な格好で(なぜだ!)店に伺ったのですが、ほかのお客さんから「なにか一杯」とごちそうしていただいたり、お店からはシャンパンをごちそうしていただいたり(それも2本!)、思いがけず花束などいただいたりして(花より団子のクチですが、それでもうれしいものです)、とてもうれしく、サプライズな誕生日となりました。
しかし、雨に濡れながら家路につく途中、感謝するのは我が母親です。
どったんばったんしながらも、なんとかここまで楽しく人生を送ってこられたのも、すべて母親のおかげ。どんなときでも、自分のことよりも子どもの幸せだけを願って生きてきた母親のおかげです。
いや、それだけでなく、私を支えてくれた、温かい周りの人たちのおかげ。自分は自分の力だけでなく、多くの人たちの力によって「生かされている」ということを、改めて感謝する次第です。どこに足を向けて眠ればいいのかわからない、といった状態です。これホント。
これからの自分の人生、もっと充実させなくてはいけません。悩んでいることは多くありますし、体のメンテナンスはもっとしっかり行わなくてはいけません。
私の母親が私をこの世に送り出すとき、雨音を聴きながらどんな思いでいたのかなあと思いながら、ゆっくりゆっくり、静かな雨音をかみしめるように家路につきました。
今日だけは、ゆったりと過ごしたい、我が誕生日の夜です。
by yochy.1962
| 2006-09-18 03:28
| 酒