2007年 04月 30日
世田谷文学館「向田邦子展」 |
向田邦子のことなら、もう知らないことはない、ってくらいなマニアの私ですが、それでもこういう展覧会があると、なにか新しい発見があるのではないかと、今でもつい足を伸ばしてしまいます。
それにしても「あの事故」から、もう25年以上も経っているのですね。
京王線「芦花公園」駅から歩いて5分ほど。閑静でちょいハイソな住宅地の中に、「世田谷文学館」があります。
「向田ファン」は相変わらず多く、結構なにぎわいの展覧会でした。今後、女優の渡辺美佐子さんによる「かわうそ」の朗読会、演出家の鴨下信一さんによる講演会も予定されていて、その日はもっと混雑が予想されます。
この写真は、展覧会で唯一写真撮影が許された場所。「寺内貫太郎一家」の再現セット、ではなく、昭和の一般的な茶の間の様子を再現したもののようです。
うーん、昭和も長いですから、どのへんのあたりを表現しているのか、このドラマが放映されていたのは確か昭和49年。となると、電子ジャーはともかく、その他はちょっと古すぎるかなあ、って感じですね。
ああ、今年からこの日(4月29日)は「昭和の日」になったんでしたね。
今回の展覧会は、向田邦子の直筆原稿(有名な話ですがかなりの悪筆、いや、ある意味達筆かな。編集者が解読不明な字の横に朱入れをしているのが笑い、でした)のほかに、担当した台本、お気に入りの絵、洋服、そして伝説の「う」の引き出し(整理整頓が苦手だったらしい彼女が、うまいものの資料だけは、「う」という引き出しを作り、大切にまとめてあったのです)、家族や親しい人に宛てた、手紙にもならない走り書きなんかも展示されています。
この状況をこっそり向田さんが見ていたら、思わず苦笑、って感じかもしれません(笑)。
彼女の死後、だいぶ経ってから、彼女の「恋人」の存在が明らかにされ、それまで謎だったいろいろなことが(例えば、どうしてこの人の若い頃の写真は、プロの写真家が撮ったとしか思えない奇麗な写真ばかりなのだろう、とか)明らかになりました。それと同時に、彼女の作品の「味わい方」も少々軌道修正されました。向田邦子の「影」の部分。「恋」が「影」になるとはなんとも皮肉なものですが、そんな経験をしてきたからこそ、人間のどうしようもない「闇」の部分を、やさしく、いとおしく文章に再生することができて、人々はそれに思いをゆだねるのだと思います。
言わないことが、一番大切なことだったりするのですね。
叶わないものに惹かれるのが人間、ともいえるのでしょうか。
何度も何度も読んで、もう覚えてしまっているはずの彼女の作品ですが、人に貸したり、プレゼントしたりして、現在ほとんど手元に残っていないことに気がつきました。で、もう一度代表作を購入。久しぶりに読んだら、また違った解釈ができるかもしれません。楽しみです。
それにしても「あの事故」から、もう25年以上も経っているのですね。
京王線「芦花公園」駅から歩いて5分ほど。閑静でちょいハイソな住宅地の中に、「世田谷文学館」があります。
「向田ファン」は相変わらず多く、結構なにぎわいの展覧会でした。今後、女優の渡辺美佐子さんによる「かわうそ」の朗読会、演出家の鴨下信一さんによる講演会も予定されていて、その日はもっと混雑が予想されます。
この写真は、展覧会で唯一写真撮影が許された場所。「寺内貫太郎一家」の再現セット、ではなく、昭和の一般的な茶の間の様子を再現したもののようです。
うーん、昭和も長いですから、どのへんのあたりを表現しているのか、このドラマが放映されていたのは確か昭和49年。となると、電子ジャーはともかく、その他はちょっと古すぎるかなあ、って感じですね。
ああ、今年からこの日(4月29日)は「昭和の日」になったんでしたね。
今回の展覧会は、向田邦子の直筆原稿(有名な話ですがかなりの悪筆、いや、ある意味達筆かな。編集者が解読不明な字の横に朱入れをしているのが笑い、でした)のほかに、担当した台本、お気に入りの絵、洋服、そして伝説の「う」の引き出し(整理整頓が苦手だったらしい彼女が、うまいものの資料だけは、「う」という引き出しを作り、大切にまとめてあったのです)、家族や親しい人に宛てた、手紙にもならない走り書きなんかも展示されています。
この状況をこっそり向田さんが見ていたら、思わず苦笑、って感じかもしれません(笑)。
彼女の死後、だいぶ経ってから、彼女の「恋人」の存在が明らかにされ、それまで謎だったいろいろなことが(例えば、どうしてこの人の若い頃の写真は、プロの写真家が撮ったとしか思えない奇麗な写真ばかりなのだろう、とか)明らかになりました。それと同時に、彼女の作品の「味わい方」も少々軌道修正されました。向田邦子の「影」の部分。「恋」が「影」になるとはなんとも皮肉なものですが、そんな経験をしてきたからこそ、人間のどうしようもない「闇」の部分を、やさしく、いとおしく文章に再生することができて、人々はそれに思いをゆだねるのだと思います。
言わないことが、一番大切なことだったりするのですね。
叶わないものに惹かれるのが人間、ともいえるのでしょうか。
何度も何度も読んで、もう覚えてしまっているはずの彼女の作品ですが、人に貸したり、プレゼントしたりして、現在ほとんど手元に残っていないことに気がつきました。で、もう一度代表作を購入。久しぶりに読んだら、また違った解釈ができるかもしれません。楽しみです。
by yochy.1962
| 2007-04-30 10:38
| 文学