2006年 12月 24日
クリスマス・イブ |
学生時代、クリスマスまで限定という約束で、池袋にある書店で短期バイトをしたことがあります。
当時は私、本当に貧乏で(いまも同じですが)、そのうえ計画的にお金を使うという頭がなく(いまも同じですが)、もちろん貯金もなく、仕送りのお金も底をつき、というようなどん底の毎日を送っていました。クリスマスが近いからといってプレゼントをあげるような相手もなく、もらう予定もなく、ただただ、クリスマスプレゼントを買い求める幸せそうな客の相手をしている毎日でした。
デパートの中にあるその書店では、私は誰とも仲良くすることなく、いつもひとりで黙々と仕事をしていました。
店員たちはみんな、遠巻きに私を見ているようでした。私はその書店の社長さんのちょっとした知り合いで、今回のアルバイトもその社長さんの紹介だったということ、その前に私は新宿の書店でずっとバイトをしていたので、誰にも教えてもらわなくても、とりあえず接客業務はこなせたということで、なんとなくみなさん、面白くないという気持ちがあったのかもしれません。
昼飯時も、休憩時も、ずっと私はひとりでした。同年代の男の人でもいたら、まだ少しはよかったのかもしれませんが、そこはいわゆる「女の職場」でした。まあ、陰でこそこそ言われている中に入っていくのは私も御免でしたから、バイト代をもらうまでの我慢我慢、と心に言い聞かせて仕事をこなしていました。
特に、同じ売り場にいる同い年の女性社員は大の苦手でした。最初から怒り口調で私にああしろこうしろと責め立て、何も教えてもらっていないことをできていないと怒り、休憩室まで追いかけてきて私を睨みつけるのです。
ちょっとヒステリーが入っている女性のようで、ついに私もキレて「教えてもらってないのにそういう言い方はないんじゃないか」と大声で彼女を威嚇してしまったことがありました。その後、彼女が客とトラブルを起こし、クレームをつけられてさんざん怒られているのを目撃したときは、「当たり前だ、ざまあみろ」と心から思ってしまいました。
ふだんは温厚で、明るくて、が取り柄のはずだったのに、こんな気持ちになる自分がとても嫌でした。嫌な職場だ、早く辞めたいと思いながら過ごす年の瀬でした。
それにしても金欠はどうしようもなく、食費を切り詰めても、食べ盛りでしたから(いまもそうですが)どんどん財布の中は寂しくなっていきました。そしてバイト最終日の12月24日、ついにお金は小銭だけになり、ご飯も食べることができなくなってしまったのです。
その日の昼休みは、デパートの中をうろうろして過ごしました。大きなプレゼントを抱えている人、なにを買おうとにこにこしながらウインドウを覗く人たちがたくさん目の前を通り過ぎていきました。
しかし、バイトが終われば私にも給料が入ります。嫌な人たちともおさらばして、給料をもらったら、どこかでおいしいものを食べて帰ろう、とだけ思って時間を過ごしていました。
そしてやっと仕事が終わり、とりあえず売り場の主任に挨拶をして職場を去りました。主任は「来年はいつから来てくれる?」とおめでたいことを言っていましたが笑って辞退し、ヒステリーの女性にも「さようなら」と挨拶しました。女性は私が一度キレてからは私が怖くなったらしく、おどおどしながら「お疲れさまです」とだけ言ってどこかに逃げていきました。
しかし事件はここから始まるのです。
やっと給料……のはずが、経理のおばちゃんは「えっ、給料は明日よ。明日いらっしゃい」とさらりと言うのです。がーん! 目の前が真っ暗になってしまいました。
どうしよう。きょうはおいしいものをどころか、なにも食べられない。それどころか家にも帰れない……。池袋駅でお財布の中を引っ掻き回してみたところ、わずか180円。
私のアパートは亀戸にありました。えーと、池袋から180円で行けるところは……と運賃表を調べたら、なんとか錦糸町までは行けることがわかりました。
錦糸町で電車を下り、そこからは歩いて家に帰るしかありませんでした。自分で自分を盛り上げるため、車がびゅんびゅん通り過ぎる街道を、大きな声で歌いながら帰りました。
当時はもっと冬が寒かったような気がします。ブルブル震えながら、お腹は空いたを通り越し、もう活動することもなくなっていたようでした。しかし、疲れきってはいましたが、なんだかすがすがしいような、開放感たっぷりな気分の帰り道でした。
なんとか家までたどり着き、小さな電気ストーブをつけ、やっと一息できる時間がやってきました。
どたんと座り込み、ふーっと大きなため息をついて、カセットレコーダーをONにしました。ちょうど山下達郎のニューアルバムを友人から借りていたところでした。
きっと 君は 来ない〜 ひとりきりのクリスマス・イブ〜
のちのJRのCMでブレイクする前の、正真正銘の新曲、でした。繰り返し繰り返しこの曲ばかりを聞きながら、私のイブは過ぎていきました。
静かな夜でした。
そして次の日、銀行に行って残高を調べてみたら、わずか1000円ほどの残高がありました。それを下ろし、池袋に行って給料をいただき、すぐにハンバーガーショップに駆け込みました。
なにかおいしいものを……と思っていながらハンバーガーとは、ですが、学生でしたからこんなものです。しかしその店で、いきなり外国人に英語で道を尋ねられ、あわあわしながら片言の英語で教えてあげたら、その様子を見ていた子ども連れの人が私のことをたいそう気に入ったみたいで(しどろもどろが一生懸命に見えたのでしょう)、いろいろと話をしてくださり、私が来年就職活動をするんだなんて話をしたら、よかったらウチに来てみませんか、なんて言ってくださったのです。
銀座にある紳士服会社の重役さんということでした。とりあえず、ぜひ一度遊びに来てくださいなんておっしゃっていただきました。
ちょっと自分が目指す分野とは違ったので、ありがとうございますとだけ言って、実際には行きませんでしたが、そのときは、とても救われたような気持ちになりました。もしかしたら、それが私のクリスマスプレゼントだったのかもしれません。
クリスマスは楽しかった思い出もたくさん持っているはずなのに、一番深く印象に残っているクリスマスの思い出はと聞かれると、このことが真っ先によみがえってきます。
そしてクリスマスソングはたくさんあれど、山下達郎の「クリスマスイブ」を聞くと、あっちこっちつまずきながらも必死に生きていたあの頃の自分がとても愛しく思い出されて、どこでなにをしていても、つい立ち止まって、じっと聞き込んでしまう私なのです。
当時は私、本当に貧乏で(いまも同じですが)、そのうえ計画的にお金を使うという頭がなく(いまも同じですが)、もちろん貯金もなく、仕送りのお金も底をつき、というようなどん底の毎日を送っていました。クリスマスが近いからといってプレゼントをあげるような相手もなく、もらう予定もなく、ただただ、クリスマスプレゼントを買い求める幸せそうな客の相手をしている毎日でした。
デパートの中にあるその書店では、私は誰とも仲良くすることなく、いつもひとりで黙々と仕事をしていました。
店員たちはみんな、遠巻きに私を見ているようでした。私はその書店の社長さんのちょっとした知り合いで、今回のアルバイトもその社長さんの紹介だったということ、その前に私は新宿の書店でずっとバイトをしていたので、誰にも教えてもらわなくても、とりあえず接客業務はこなせたということで、なんとなくみなさん、面白くないという気持ちがあったのかもしれません。
昼飯時も、休憩時も、ずっと私はひとりでした。同年代の男の人でもいたら、まだ少しはよかったのかもしれませんが、そこはいわゆる「女の職場」でした。まあ、陰でこそこそ言われている中に入っていくのは私も御免でしたから、バイト代をもらうまでの我慢我慢、と心に言い聞かせて仕事をこなしていました。
特に、同じ売り場にいる同い年の女性社員は大の苦手でした。最初から怒り口調で私にああしろこうしろと責め立て、何も教えてもらっていないことをできていないと怒り、休憩室まで追いかけてきて私を睨みつけるのです。
ちょっとヒステリーが入っている女性のようで、ついに私もキレて「教えてもらってないのにそういう言い方はないんじゃないか」と大声で彼女を威嚇してしまったことがありました。その後、彼女が客とトラブルを起こし、クレームをつけられてさんざん怒られているのを目撃したときは、「当たり前だ、ざまあみろ」と心から思ってしまいました。
ふだんは温厚で、明るくて、が取り柄のはずだったのに、こんな気持ちになる自分がとても嫌でした。嫌な職場だ、早く辞めたいと思いながら過ごす年の瀬でした。
それにしても金欠はどうしようもなく、食費を切り詰めても、食べ盛りでしたから(いまもそうですが)どんどん財布の中は寂しくなっていきました。そしてバイト最終日の12月24日、ついにお金は小銭だけになり、ご飯も食べることができなくなってしまったのです。
その日の昼休みは、デパートの中をうろうろして過ごしました。大きなプレゼントを抱えている人、なにを買おうとにこにこしながらウインドウを覗く人たちがたくさん目の前を通り過ぎていきました。
しかし、バイトが終われば私にも給料が入ります。嫌な人たちともおさらばして、給料をもらったら、どこかでおいしいものを食べて帰ろう、とだけ思って時間を過ごしていました。
そしてやっと仕事が終わり、とりあえず売り場の主任に挨拶をして職場を去りました。主任は「来年はいつから来てくれる?」とおめでたいことを言っていましたが笑って辞退し、ヒステリーの女性にも「さようなら」と挨拶しました。女性は私が一度キレてからは私が怖くなったらしく、おどおどしながら「お疲れさまです」とだけ言ってどこかに逃げていきました。
しかし事件はここから始まるのです。
やっと給料……のはずが、経理のおばちゃんは「えっ、給料は明日よ。明日いらっしゃい」とさらりと言うのです。がーん! 目の前が真っ暗になってしまいました。
どうしよう。きょうはおいしいものをどころか、なにも食べられない。それどころか家にも帰れない……。池袋駅でお財布の中を引っ掻き回してみたところ、わずか180円。
私のアパートは亀戸にありました。えーと、池袋から180円で行けるところは……と運賃表を調べたら、なんとか錦糸町までは行けることがわかりました。
錦糸町で電車を下り、そこからは歩いて家に帰るしかありませんでした。自分で自分を盛り上げるため、車がびゅんびゅん通り過ぎる街道を、大きな声で歌いながら帰りました。
当時はもっと冬が寒かったような気がします。ブルブル震えながら、お腹は空いたを通り越し、もう活動することもなくなっていたようでした。しかし、疲れきってはいましたが、なんだかすがすがしいような、開放感たっぷりな気分の帰り道でした。
なんとか家までたどり着き、小さな電気ストーブをつけ、やっと一息できる時間がやってきました。
どたんと座り込み、ふーっと大きなため息をついて、カセットレコーダーをONにしました。ちょうど山下達郎のニューアルバムを友人から借りていたところでした。
きっと 君は 来ない〜 ひとりきりのクリスマス・イブ〜
のちのJRのCMでブレイクする前の、正真正銘の新曲、でした。繰り返し繰り返しこの曲ばかりを聞きながら、私のイブは過ぎていきました。
静かな夜でした。
そして次の日、銀行に行って残高を調べてみたら、わずか1000円ほどの残高がありました。それを下ろし、池袋に行って給料をいただき、すぐにハンバーガーショップに駆け込みました。
なにかおいしいものを……と思っていながらハンバーガーとは、ですが、学生でしたからこんなものです。しかしその店で、いきなり外国人に英語で道を尋ねられ、あわあわしながら片言の英語で教えてあげたら、その様子を見ていた子ども連れの人が私のことをたいそう気に入ったみたいで(しどろもどろが一生懸命に見えたのでしょう)、いろいろと話をしてくださり、私が来年就職活動をするんだなんて話をしたら、よかったらウチに来てみませんか、なんて言ってくださったのです。
銀座にある紳士服会社の重役さんということでした。とりあえず、ぜひ一度遊びに来てくださいなんておっしゃっていただきました。
ちょっと自分が目指す分野とは違ったので、ありがとうございますとだけ言って、実際には行きませんでしたが、そのときは、とても救われたような気持ちになりました。もしかしたら、それが私のクリスマスプレゼントだったのかもしれません。
クリスマスは楽しかった思い出もたくさん持っているはずなのに、一番深く印象に残っているクリスマスの思い出はと聞かれると、このことが真っ先によみがえってきます。
そしてクリスマスソングはたくさんあれど、山下達郎の「クリスマスイブ」を聞くと、あっちこっちつまずきながらも必死に生きていたあの頃の自分がとても愛しく思い出されて、どこでなにをしていても、つい立ち止まって、じっと聞き込んでしまう私なのです。
by yochy.1962
| 2006-12-24 23:45
| 音楽