2005年 06月 03日
怖がり |
昔、ホントに大昔ですが、NHKテレビで「ケッペル先生」という外国(だと思う)の人形劇(いや、人形が出て来る教育番組かな)がありました。
私がまだ3〜4歳くらいのことなので、その番組がどういう番組なのかは全然覚えていません。白黒テレビだったということ、ケッぺル先生の太いまゆげがピクンピクンと動くことは覚えているのですが、内容はまったく覚えていません。というより、我が家でその番組を見ることは固く禁じられていたのでした。
それは、ケッぺル先生を見ると、決まってウチの兄貴が大声で泣き出すからです。
とにかく私の兄は「怖がり」で、3〜4歳の、物心ついたばかりの頃の私でも、兄の「ヴェ〜〜〜ン」という激しい泣き声は覚えています。兄は私より6歳上ですから、その頃はもう10歳くらいにはなっていたと思うのですが、泣き声はまるで「幼児」でした。
兄はまた、その頃デパートの屋上に来ていた「オバケのQ太郎」の「着ぐるみ」も激しく怖がって、やはり大泣きしていたものでした。
着ぐるみといっても「オバケ」ですから、シーツのような布をかぶって、大きな口をパックンパックンさせているのです。冷静に考えれば十分怖いのですが、なんといってもアニメの人気キャラクターですから、ちょっとくらい「?」の気持ちがあっても、子どもは「わあいQ太郎だあ」と言いながら近づいていくものです。しかし、兄は頑にそれを拒み、泣き叫び、Q太郎の中身の人を困惑(?)させていたのでした。
大人になって、兄もさすがに「怖がり」は克服できたかなあと思っていたのですが、以前、親戚のお墓参りのためにお寺に行ったとき、少し前を歩いていた兄が、突然「ひえ〜〜」という、なんともみっともない悲鳴を上げて、腰をぬかしてしまったのです。
どうしたの、と思って兄の視線のほうに目をやると、そこには、お寺の池で素っ裸で寝転がっている和尚さんがいたのでした。あまりの暑さに、和尚さんはきっと水浴びをしていたのでしょう。しかし兄はきっと、それを死体かなにかと勘違いしたのでしょうね。
とにかく、兄弟・親戚中大笑いでした。
兄弟でも6つ、7つと離れれば「世界」は違います。兄とはいっしょに遊ぶということもあまりなかったし、「スポーツ系」の兄と「芸術系」の私では(←まあ、一応3つぐらいのカテゴリーに分ければそういうことになるかな、と思って……)あまり接点もないので、特別仲のいい兄弟というわけではなかったのですが、どこかの兄弟みたいにくっついたり絶縁したりということもなく、お互い遠くで「頑張っているんかい、あいつ」というような目で見ている、という感じです。同じ職種、同じ生き方をしてお互いを批判し合ったりするような関係でないだけ、幸せな関係と言えるのかも知れません。
兄貴も立派に成長(?)し、子どもには怖がりの遺伝子は受け継がれなかったようで一安心です。現在サッカーの審判員なんてことをやっていますが、実はボールが怖くていつも逃げ回っている、なんてことはないようです。
私がまだ3〜4歳くらいのことなので、その番組がどういう番組なのかは全然覚えていません。白黒テレビだったということ、ケッぺル先生の太いまゆげがピクンピクンと動くことは覚えているのですが、内容はまったく覚えていません。というより、我が家でその番組を見ることは固く禁じられていたのでした。
それは、ケッぺル先生を見ると、決まってウチの兄貴が大声で泣き出すからです。
とにかく私の兄は「怖がり」で、3〜4歳の、物心ついたばかりの頃の私でも、兄の「ヴェ〜〜〜ン」という激しい泣き声は覚えています。兄は私より6歳上ですから、その頃はもう10歳くらいにはなっていたと思うのですが、泣き声はまるで「幼児」でした。
兄はまた、その頃デパートの屋上に来ていた「オバケのQ太郎」の「着ぐるみ」も激しく怖がって、やはり大泣きしていたものでした。
着ぐるみといっても「オバケ」ですから、シーツのような布をかぶって、大きな口をパックンパックンさせているのです。冷静に考えれば十分怖いのですが、なんといってもアニメの人気キャラクターですから、ちょっとくらい「?」の気持ちがあっても、子どもは「わあいQ太郎だあ」と言いながら近づいていくものです。しかし、兄は頑にそれを拒み、泣き叫び、Q太郎の中身の人を困惑(?)させていたのでした。
大人になって、兄もさすがに「怖がり」は克服できたかなあと思っていたのですが、以前、親戚のお墓参りのためにお寺に行ったとき、少し前を歩いていた兄が、突然「ひえ〜〜」という、なんともみっともない悲鳴を上げて、腰をぬかしてしまったのです。
どうしたの、と思って兄の視線のほうに目をやると、そこには、お寺の池で素っ裸で寝転がっている和尚さんがいたのでした。あまりの暑さに、和尚さんはきっと水浴びをしていたのでしょう。しかし兄はきっと、それを死体かなにかと勘違いしたのでしょうね。
とにかく、兄弟・親戚中大笑いでした。
兄弟でも6つ、7つと離れれば「世界」は違います。兄とはいっしょに遊ぶということもあまりなかったし、「スポーツ系」の兄と「芸術系」の私では(←まあ、一応3つぐらいのカテゴリーに分ければそういうことになるかな、と思って……)あまり接点もないので、特別仲のいい兄弟というわけではなかったのですが、どこかの兄弟みたいにくっついたり絶縁したりということもなく、お互い遠くで「頑張っているんかい、あいつ」というような目で見ている、という感じです。同じ職種、同じ生き方をしてお互いを批判し合ったりするような関係でないだけ、幸せな関係と言えるのかも知れません。
兄貴も立派に成長(?)し、子どもには怖がりの遺伝子は受け継がれなかったようで一安心です。現在サッカーの審判員なんてことをやっていますが、実はボールが怖くていつも逃げ回っている、なんてことはないようです。
by yochy.1962
| 2005-06-03 01:15
| 生活全般