2005年 05月 04日
私が出会ったハンサムレディー2(その5) |
そういえば、私たちはお互いの「恋」の話をしたことがありませんでした。一般的な恋愛論を語り合ったり、他人の恋話の中に足を踏み入れてみたりはしたのですが、本人の恋愛についてはなにも話したりしたことはありませんでした。
私自身は、人様に披露するだけの面白い恋愛をしてきたわけではなく、いや、端から見たら十分面白いかもしれませんが(苦笑)、それを自分でも面白がるほどに消化していないので、どうしてもそういう話を避けてしまうのでした。
だから他人にも恋の話を強制しないし(ときどき強制する人、いますよね)、切子さんも全然自身の恋話をしてこないので、たぶん切子さんは私と同じスタンスの人なのだ、と勝手に思っていたのでした。
だから、「私、彼のいる京都に行くことに決めたの」と切子さんから打ち明けられたとき、私はそうとう驚いて、フォークに刺さったミートボールを思わず落としそうになってしまいました。
話によると、彼と出会ったのは切子さんがまだ20代の頃。切子さんは熱狂的な阪神ファンで、東京でタイガースの試合があると、いつも「熱狂的な」応援をしに行くのを楽しみにしていた人でした。そしてある日、神宮球場で京都の「トラキチ」軍団とふとしたことで仲良くなって、彼らが東京に来るたびにいっしょに食事をしたりして親交を深めていたのですが、そのうちのひとり、整体師の男性のことがなんとなく気になり、いつしか恋に落ちてしまった、ということなのです。
しかし、東京と京都という遠距離ということもあり、そして、豪快でぺらぺらと自分の失敗話を語ることは得意なのに、好きな人に自分の気持ちを正直に語ることは苦手らしく、そうこうするうちに彼の方は地元の女性と結婚し、はかなくも切子さんの恋は終わってしまったのでした。
しかし切子さんの心の中には、ずっと彼がそのまま生き続けていたようです。そして10年後、彼が離婚したという話を聞くと、「今度は私の番よ」とばかりに、京都行きを決心したのです。彼の方は、こんなに積極的な切子さんに驚いて、あれよあれよという間に押し切られてしまったという感じでした。切子さんは京都で就職を決め、アパートを探し、「じゃあね」とばかりに旅立っていきました。いままでの「NEVER」を一気に解消してしまうような、見事な行動力でした。
もしかしたら、なにをやっても上手くいかず、どうにかならないものかと思っているときに、環境を変えるための絶好のチャンスと思っての行動なのかもしれません。しかし、失敗を恐れず、こうと思ったら、とりあえずやってみようとする積極的な精神には、大いに見習わなくてはならないと思います。
歳をとるたびに、こんなはずじゃなかったと思うことばかりなのが「人生」というのでしょうか。もちろんそういうものだと思わなくては、悲しくて生きていくのも嫌になってしまうかもしれません。しかし、壁にぶち当たったら壁を乗り越えればいいし、行き止まりに当たったら後戻りして違う道を探せばいいのです。
タイムリミットなどありません。いまからでも遅くない。切子さんを見ていて、私も大いに勇気が湧いて来ました。心から拍手を贈り、頑張りや、と思っています。
現在、切子さんは京都で整体の勉強をしながら、整体院を営む彼の仕事の手伝いをしている毎日のようです。いざ京都に行ったら行ったで、思っていたこととは違うこともたくさんあったようですが、「七転び八起き切子さん」のことですから、そうなったらそうなったで、「ああ大変」とか言いながらも、また違う道を探せばいいんじゃないの、なんてドーンと構えているに違いない、と思っています。(終わり)
私自身は、人様に披露するだけの面白い恋愛をしてきたわけではなく、いや、端から見たら十分面白いかもしれませんが(苦笑)、それを自分でも面白がるほどに消化していないので、どうしてもそういう話を避けてしまうのでした。
だから他人にも恋の話を強制しないし(ときどき強制する人、いますよね)、切子さんも全然自身の恋話をしてこないので、たぶん切子さんは私と同じスタンスの人なのだ、と勝手に思っていたのでした。
だから、「私、彼のいる京都に行くことに決めたの」と切子さんから打ち明けられたとき、私はそうとう驚いて、フォークに刺さったミートボールを思わず落としそうになってしまいました。
話によると、彼と出会ったのは切子さんがまだ20代の頃。切子さんは熱狂的な阪神ファンで、東京でタイガースの試合があると、いつも「熱狂的な」応援をしに行くのを楽しみにしていた人でした。そしてある日、神宮球場で京都の「トラキチ」軍団とふとしたことで仲良くなって、彼らが東京に来るたびにいっしょに食事をしたりして親交を深めていたのですが、そのうちのひとり、整体師の男性のことがなんとなく気になり、いつしか恋に落ちてしまった、ということなのです。
しかし、東京と京都という遠距離ということもあり、そして、豪快でぺらぺらと自分の失敗話を語ることは得意なのに、好きな人に自分の気持ちを正直に語ることは苦手らしく、そうこうするうちに彼の方は地元の女性と結婚し、はかなくも切子さんの恋は終わってしまったのでした。
しかし切子さんの心の中には、ずっと彼がそのまま生き続けていたようです。そして10年後、彼が離婚したという話を聞くと、「今度は私の番よ」とばかりに、京都行きを決心したのです。彼の方は、こんなに積極的な切子さんに驚いて、あれよあれよという間に押し切られてしまったという感じでした。切子さんは京都で就職を決め、アパートを探し、「じゃあね」とばかりに旅立っていきました。いままでの「NEVER」を一気に解消してしまうような、見事な行動力でした。
もしかしたら、なにをやっても上手くいかず、どうにかならないものかと思っているときに、環境を変えるための絶好のチャンスと思っての行動なのかもしれません。しかし、失敗を恐れず、こうと思ったら、とりあえずやってみようとする積極的な精神には、大いに見習わなくてはならないと思います。
歳をとるたびに、こんなはずじゃなかったと思うことばかりなのが「人生」というのでしょうか。もちろんそういうものだと思わなくては、悲しくて生きていくのも嫌になってしまうかもしれません。しかし、壁にぶち当たったら壁を乗り越えればいいし、行き止まりに当たったら後戻りして違う道を探せばいいのです。
タイムリミットなどありません。いまからでも遅くない。切子さんを見ていて、私も大いに勇気が湧いて来ました。心から拍手を贈り、頑張りや、と思っています。
現在、切子さんは京都で整体の勉強をしながら、整体院を営む彼の仕事の手伝いをしている毎日のようです。いざ京都に行ったら行ったで、思っていたこととは違うこともたくさんあったようですが、「七転び八起き切子さん」のことですから、そうなったらそうなったで、「ああ大変」とか言いながらも、また違う道を探せばいいんじゃないの、なんてドーンと構えているに違いない、と思っています。(終わり)
by yochy.1962
| 2005-05-04 13:58
| 生活全般