2005年 04月 14日
私が出会ったハンサムレディー1(その4) |
時が経てば少女は女に、ヒヨコはニワトリになるのでした。
ヒヨッコ編集者も仕事をいくつかこなし、勉強を続けていくうちに、「ヒヨッコ」から「ヘッポコ」へと進化を遂げていくのでした(それは進化なのか?)。
そして生意気にも彼女の編集方針、仕事の進め方、センスなどに対して、あれこれと評価するようになってしまったのです。
「オレならこの仕事、違うイラストレーターに頼むなあ」とか、「このレイアウト、ちょっとごちゃごちゃし過ぎてない?」とか、口にこそ出しませんが思うようになってしまったのです。
そして、彼女が仕上げたレイアウトを、あとでこっそりやり直してみたり(いま思い出しても冷や汗ものです)、どうしてもこのイラストレーターを使いたいと駄々をこねてみたりと、彼女にあれだけお世話になっておきながら、彼女にとって「いやーな」編集者へと変貌していってしまいました。
ずいぶんやりにくいと思ったでしょう。しかし彼女は嫌な顔ひとつせず、「ああ、そのイラストレーターもいいわね。私、どうしてもマニアックな人選になっちゃうから(笑)。じゃ、それお願いします」などと、あの優しい微笑みのままで、私ひとりに任せる部分を作ってくれたりしたのです。
とても自分に寛容な言い方をすれば、私も少しずつ成長していたのかもしれません。やる気だけは満々で、それに対しては、彼女は頼もしく思ってくれていたのかもしれません。
仕事を円滑に、チームワークを大切に、そしていろいろなことを気遣わなくてはいけないという、社会人として当たり前の感性を養うには、私の場合、まだまだ時間が必要でした。
はっきり言って私はまだまだ子どもでした。しかし、そんな子どもを、彼女は母のような大きな心で、にこやかに見てくれていたのでした。
こんなことがあっても、彼女はよく私を酒に誘ってくれました。
彼女とは、ホントにいろいろな話をしました。編集者としてのイロハを教えてもらったり、ちょっとしたマナーのこと(そうとうな野放し男だと思っていたんでしょうね)、そして人生相談などなど、お互いのことはほとんど知っているぐらい長い時間を共有しました。
恋愛の話もしました。こういう話は、彼女はあまり得意でないのかなあと勝手に思っていたのですが、ある日、そうとう酔っぱらっていたのか、彼女は自分の恋愛話を私に披露してくれたのです。
それはあまりにも悲しすぎる恋愛物語で、不覚にも涙を流しそうになってしまいました。なかなか普通の人には体験できない、というより決して体験したくないと思うような悲しい話でした。
あまり他人には話したことがないと言っていたので、ここでその話を書くのは控えますが、もしかしたら、こんなことを体験したからこそ、菩薩様のような慈悲深い微笑み、ボーイッシュな外見を逆手に取り、誰からも愛されるキャラクターになれるのかもしれないと思ったものでした。
悲しいことを心の奥底にすっかりとラッピングして、その上に彼女の微笑みがあるのでした。どんなに真似をしようと思っても、私には決してできないことでした。
(当時の彼女より10歳も歳を取ったというのに、いまだに私にはできないことです。ウジウジしながら毎日を過ごしています......。)
しかし、彼女との別れは、案外あっさりとやってくるのでした。(続く。次回が最終回です)
ヒヨッコ編集者も仕事をいくつかこなし、勉強を続けていくうちに、「ヒヨッコ」から「ヘッポコ」へと進化を遂げていくのでした(それは進化なのか?)。
そして生意気にも彼女の編集方針、仕事の進め方、センスなどに対して、あれこれと評価するようになってしまったのです。
「オレならこの仕事、違うイラストレーターに頼むなあ」とか、「このレイアウト、ちょっとごちゃごちゃし過ぎてない?」とか、口にこそ出しませんが思うようになってしまったのです。
そして、彼女が仕上げたレイアウトを、あとでこっそりやり直してみたり(いま思い出しても冷や汗ものです)、どうしてもこのイラストレーターを使いたいと駄々をこねてみたりと、彼女にあれだけお世話になっておきながら、彼女にとって「いやーな」編集者へと変貌していってしまいました。
ずいぶんやりにくいと思ったでしょう。しかし彼女は嫌な顔ひとつせず、「ああ、そのイラストレーターもいいわね。私、どうしてもマニアックな人選になっちゃうから(笑)。じゃ、それお願いします」などと、あの優しい微笑みのままで、私ひとりに任せる部分を作ってくれたりしたのです。
とても自分に寛容な言い方をすれば、私も少しずつ成長していたのかもしれません。やる気だけは満々で、それに対しては、彼女は頼もしく思ってくれていたのかもしれません。
仕事を円滑に、チームワークを大切に、そしていろいろなことを気遣わなくてはいけないという、社会人として当たり前の感性を養うには、私の場合、まだまだ時間が必要でした。
はっきり言って私はまだまだ子どもでした。しかし、そんな子どもを、彼女は母のような大きな心で、にこやかに見てくれていたのでした。
こんなことがあっても、彼女はよく私を酒に誘ってくれました。
彼女とは、ホントにいろいろな話をしました。編集者としてのイロハを教えてもらったり、ちょっとしたマナーのこと(そうとうな野放し男だと思っていたんでしょうね)、そして人生相談などなど、お互いのことはほとんど知っているぐらい長い時間を共有しました。
恋愛の話もしました。こういう話は、彼女はあまり得意でないのかなあと勝手に思っていたのですが、ある日、そうとう酔っぱらっていたのか、彼女は自分の恋愛話を私に披露してくれたのです。
それはあまりにも悲しすぎる恋愛物語で、不覚にも涙を流しそうになってしまいました。なかなか普通の人には体験できない、というより決して体験したくないと思うような悲しい話でした。
あまり他人には話したことがないと言っていたので、ここでその話を書くのは控えますが、もしかしたら、こんなことを体験したからこそ、菩薩様のような慈悲深い微笑み、ボーイッシュな外見を逆手に取り、誰からも愛されるキャラクターになれるのかもしれないと思ったものでした。
悲しいことを心の奥底にすっかりとラッピングして、その上に彼女の微笑みがあるのでした。どんなに真似をしようと思っても、私には決してできないことでした。
(当時の彼女より10歳も歳を取ったというのに、いまだに私にはできないことです。ウジウジしながら毎日を過ごしています......。)
しかし、彼女との別れは、案外あっさりとやってくるのでした。(続く。次回が最終回です)
by yochy.1962
| 2005-04-14 00:59
| 出版