2005年 03月 21日
ニャンコ先生 |
ピントが甘くて、あまりいい写真ではありませんが、このネコは、ウチの下の階に住み着いている「半ノラ」のネコです。
ノラのくせに、毎日下の階の方にたんまりえさを貰っているためか、でっぷりと太りかえり、階段を下りる、そのドッテンドッテンとした後ろ姿は、思わず笑ってしまうほどこっけいです。
そのくせ、以前ノラネコだったというプライドだけは、かろうじて持ち合わせているのか、「えさをくれない」私に対しては、その姿を見るなりキーッとした顔をして、サッとどこかへ隠れてしまいます。だからこの写真は、ヤツに見つからないように、そーっと遠くから、望遠の精一杯のところで撮ったものです。
私の部屋の、陽の当たるベランダがお気に入りのようで、冬の朝などは、カーテンを開けるとヤツがだらーんとした姿で寝転んでいたりします。しかし、私の気配を感じると、「はっ、敵が襲いかからんとしている、逃げなくては」とばかりに、まるでサスペンスドラマの主人公のごとく、思いっきりドラマチックに、すばやい身のこなしで(でもドッタンドッタンしてるんだけど)逃げていくのです。ヤツにとっては、この世のすべてのものが大アトラクションに見えるのでしょうね。私は、その真剣な生き方(?)に敬意を表して、ヤツのことを「ニャンコ先生」と呼んでいます。
動物が大好きで、ワンちゃん、ネコちゃんの姿を見ると、積極的にスキンシップを図りたくて近寄ったりする私なのですが、こうもあからさまに嫌われると、フン、どうでもいいや、お前とは友人にはなれそうもないね、などと思ってしまいます。
しかし、考えてみたらずっとノラネコ生活を続けて来た親から生まれ、心無い人からのたくさんの迫害を受け、人間とは恐ろしいものだ、という認識が、遺伝子レベルで埋め込まれているのかもしれません。仕方がないことかもしれません。
ニャンコ先生が初めて姿を現したのは、もう5年ほど前になるでしょうか。お腹の大きいノラが、ウチの床下で子どもを5匹ほど産んで、そのうちの1匹がニャンコ先生でした。ネコ好きの下の階のお母さんが、せっせせっせとえさを運んであげていたため、すっかりノラネコ軍団はここを住処としてしまったのでした。
ニャンコ先生たちは、えさをくれるお母さんにはすっかりなついて、ひざに抱かれてニャーゴニャーゴとしていたのですが、私が近寄ると、歯をむき出して、すっごい顔をして逃げていくのは当時から同じでした(悲)。
しかし、やはりノラネコは危険がいっぱいの都会では長生きしないようで、子どものうちから1匹減り、2匹減りと、結局、ニャンコ先生だけが生き残り、他のネコの分までえさを食べ、でっぷりと太って現在に至っているわけです。ボランティアの人が去勢手術をしてくれたおかげなのか、「ネコの恋の季節」でもトチ狂うことなく、ニャンコ先生はじっとたたずんで思慮深く、まるで哲学者のように見えたりもします。
一度だけ、下の階の人がみんな出払ってしまうことがあり、「これをあげて」とキャットフードを渡されたことがありました。私があげても食べないんじゃないかなあと思ったのですが、言われた通りにキャットフードの袋を持ってニャンコ先生に近づいたのでした。
すると、そのカサカサという音を聞いて、まるで、いままでのオレに対する警戒心はどこに行ったの? と思うくらいに、それこそ「猫なで声」でオレに歩み寄り、キャットフードをむさぼり食ったのでした。「なんだコイツ」と思いましたが、もしかしたらこれで仲直りできるかな(別に喧嘩した覚えはないですが)と、夢中でえさにがっつくニャンコ先生の後ろ姿を間近で見ながら、ちょっとうれしく思ったりもしました。
しかし次の日、また以前と同じように、ニャンコ先生は私の顔を見た瞬間にキーッとした顔で威嚇してきました。......ノラネコなんてこんなものかもしれませんが、やっぱりニャンコ先生は、私に心を開こうという考えは、ないようです。もういいや、とあきらめました、ふうっ。
さすがにいまでは、私に対する免疫もできたのか、私の姿を見て一目散に逃げる、ということはなくなりました。もしかしたら、だいぶ歳をとって、人間が、いやネコが「丸く」なったのかもしれません。私も、無理にニャンコ先生と「友達」になろうとは考えず、毎朝ニャンコ先生の、段ボール箱の「特製住処」をちらっと見て、「おっ、いるな」ぐらいの距離で見ています。ま、ノラネコとノラ人間(オレのこと)は、あんまりくっつかず、離れ過ぎず、の関係がいいのかもしれません。
ニャンコ先生も、あたふたと慌てて会社に出かけていく私の姿を眺めながら、「人間さんも頑張っているんだねえ」などと、のんびりと毛づくろいなどしながら見守っているのかもしれません。
ノラのくせに、毎日下の階の方にたんまりえさを貰っているためか、でっぷりと太りかえり、階段を下りる、そのドッテンドッテンとした後ろ姿は、思わず笑ってしまうほどこっけいです。
そのくせ、以前ノラネコだったというプライドだけは、かろうじて持ち合わせているのか、「えさをくれない」私に対しては、その姿を見るなりキーッとした顔をして、サッとどこかへ隠れてしまいます。だからこの写真は、ヤツに見つからないように、そーっと遠くから、望遠の精一杯のところで撮ったものです。
私の部屋の、陽の当たるベランダがお気に入りのようで、冬の朝などは、カーテンを開けるとヤツがだらーんとした姿で寝転んでいたりします。しかし、私の気配を感じると、「はっ、敵が襲いかからんとしている、逃げなくては」とばかりに、まるでサスペンスドラマの主人公のごとく、思いっきりドラマチックに、すばやい身のこなしで(でもドッタンドッタンしてるんだけど)逃げていくのです。ヤツにとっては、この世のすべてのものが大アトラクションに見えるのでしょうね。私は、その真剣な生き方(?)に敬意を表して、ヤツのことを「ニャンコ先生」と呼んでいます。
動物が大好きで、ワンちゃん、ネコちゃんの姿を見ると、積極的にスキンシップを図りたくて近寄ったりする私なのですが、こうもあからさまに嫌われると、フン、どうでもいいや、お前とは友人にはなれそうもないね、などと思ってしまいます。
しかし、考えてみたらずっとノラネコ生活を続けて来た親から生まれ、心無い人からのたくさんの迫害を受け、人間とは恐ろしいものだ、という認識が、遺伝子レベルで埋め込まれているのかもしれません。仕方がないことかもしれません。
ニャンコ先生が初めて姿を現したのは、もう5年ほど前になるでしょうか。お腹の大きいノラが、ウチの床下で子どもを5匹ほど産んで、そのうちの1匹がニャンコ先生でした。ネコ好きの下の階のお母さんが、せっせせっせとえさを運んであげていたため、すっかりノラネコ軍団はここを住処としてしまったのでした。
ニャンコ先生たちは、えさをくれるお母さんにはすっかりなついて、ひざに抱かれてニャーゴニャーゴとしていたのですが、私が近寄ると、歯をむき出して、すっごい顔をして逃げていくのは当時から同じでした(悲)。
しかし、やはりノラネコは危険がいっぱいの都会では長生きしないようで、子どものうちから1匹減り、2匹減りと、結局、ニャンコ先生だけが生き残り、他のネコの分までえさを食べ、でっぷりと太って現在に至っているわけです。ボランティアの人が去勢手術をしてくれたおかげなのか、「ネコの恋の季節」でもトチ狂うことなく、ニャンコ先生はじっとたたずんで思慮深く、まるで哲学者のように見えたりもします。
一度だけ、下の階の人がみんな出払ってしまうことがあり、「これをあげて」とキャットフードを渡されたことがありました。私があげても食べないんじゃないかなあと思ったのですが、言われた通りにキャットフードの袋を持ってニャンコ先生に近づいたのでした。
すると、そのカサカサという音を聞いて、まるで、いままでのオレに対する警戒心はどこに行ったの? と思うくらいに、それこそ「猫なで声」でオレに歩み寄り、キャットフードをむさぼり食ったのでした。「なんだコイツ」と思いましたが、もしかしたらこれで仲直りできるかな(別に喧嘩した覚えはないですが)と、夢中でえさにがっつくニャンコ先生の後ろ姿を間近で見ながら、ちょっとうれしく思ったりもしました。
しかし次の日、また以前と同じように、ニャンコ先生は私の顔を見た瞬間にキーッとした顔で威嚇してきました。......ノラネコなんてこんなものかもしれませんが、やっぱりニャンコ先生は、私に心を開こうという考えは、ないようです。もういいや、とあきらめました、ふうっ。
さすがにいまでは、私に対する免疫もできたのか、私の姿を見て一目散に逃げる、ということはなくなりました。もしかしたら、だいぶ歳をとって、人間が、いやネコが「丸く」なったのかもしれません。私も、無理にニャンコ先生と「友達」になろうとは考えず、毎朝ニャンコ先生の、段ボール箱の「特製住処」をちらっと見て、「おっ、いるな」ぐらいの距離で見ています。ま、ノラネコとノラ人間(オレのこと)は、あんまりくっつかず、離れ過ぎず、の関係がいいのかもしれません。
ニャンコ先生も、あたふたと慌てて会社に出かけていく私の姿を眺めながら、「人間さんも頑張っているんだねえ」などと、のんびりと毛づくろいなどしながら見守っているのかもしれません。
by yochy.1962
| 2005-03-21 19:00
| 生活全般